仮免が取れたコムギさんに朝早くから、「コムチャン車の練習しようよ!」とハヤシのおっちゃんが誘う、ちゃっかり「仮免練習中」の紙も自分の車に貼ってある。
「仕方ない付き合うか!」とコムチャンが車に乗り込んで、コエダも行きたいと、「シンコちゃんも乗れば」と家族全員で行こうかと思ったのですが、エンジンをかけてギアを入れてもなかなか動かない、ふかしても動かない、どうしてだろう?とハルちゃんと私が外に出て車を見ていると、突然グイーッと動き出し、慌てて私達は逃げた。
「庭にいたらひかれてしまう!」とどっちに動くか分からない車が突然動き出し、どこかへと出て行った。
しかし帰りはハヤシのおっちゃんが一人で帰ってきた。その後でコムギが「仮免の紙が吹っ飛んで私は見つけて歩いていたのよ!」だって!
こちらは蚊帳のジャケットです。
さて、表題の「本物」論ですが・・・・・・
骨董屋の知人から聴いた話なのですが、「美術館級の品物を購入したけれど本物かどうか見てくれ。」とのお客様「これと同じものなんだ、本物でしょう!」と美術館の図録を出して言われるのだが「美術館にあるものがここにある訳ないでしょう!」と言ったものの、本人が信じている物をなかなか偽物ですよともいえないのが本音のようです。
このように、昨今一般市民でも買える様な値段で国内外の一品が私達の手に入るのははたして良いことなのか・・・・・・?実際は昔々の物がそんなに沢山この世にあるわけが無い、それはレプリカであって今物として作られたものを昔の物と違わない古さを出して販売されている物も多いようです。
これは私達の欲望がそうさせたもので、美術館で見れるものまでも独占したい欲望がそうさせるのです。
海外のアンティークも同じです。
日本から貧しい国へ衣類を送ったりしています、昔アジアの国の山奥で日本の中学の名入りのジャージを着ているのを見て悲しくなりました。
日本人は、その人たちが着ていた服を脱がせて日本に持ってきて「アンティークだ」と言って高く売り、その代わりに子どもの着古しのジャージを着せて「とてもいい事をしている」とでも思っているのでしょうか?
その国の文化はその国に残し、大事に伝え続けていくことが大切だと思うのです。欲望の限り何でも日本持ってくるのはもうそろそろ終わりにしませんか?これらぜーんぶ原発事故とも繋がっているような気がしますが(この話はまた次の機会に)。