宮崎から帰って来ました。(4月18日)

3泊4日の宮崎の旅から帰って来ました。

折りしも熊本で大震災があり、その後と言う事もあり少し憂鬱な気持ちでの旅でした。

142鬼の洗濯岩

一日目は長野で良く遊んだ転勤族のNさんと合流して、13年ぶりの再会です。

彼女は転勤族で各地で手仕事をしていて、沖縄では藍染、岩手ではホームスパンそして長野では織(麦草で)をして知識も豊富でしたので私は教わることの多い方でした。今は介護で手仕事どころでは無いようですが、好きなお店も同じなので素敵なカフェに連れて行ってもらいました。

13年の月日は数分で取り戻せて、楽しいおしゃべりで花が咲きました。

夜は宮崎市内のホテルに泊まりましたが、夜中に大地震があり(震度4)怖い思いもしました。その後もずーと電話の緊急地震ベルが鳴っていてこの後どうなるのかと不安でした。

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二日目は実家に移動がてら、朝早くからホテルのすぐ近くの県庁を見たり

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宮崎のディープスポットを覗いたり

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そしてその昔30年昔良く行った民藝品店「日向路」を覗いたり、初めてパッチワークを習ったゴッドランドも健在でした。懐かしーい、ゴッドランドのインテリのあのオーナーも健在かしら?どちらも開店前だったので閉まってましたが、懐かしい通りを歩いてノスタルジックに浸っていました。

 

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実家に帰って年老いた両親は元気でしたが、家の物の多さは年とともに増しているようで片付けと称してゴミ袋6個も捨ててしまいました。母はたいそう残念がって「私のものを捨てられた」と言っていましたが、長年とっておいたビニール袋や賞味期限が何年も経った食べ物だったので、まだまだ片付けたいと思う荷物はあるのですから次回も片付け甲斐がありそうです。

良く考えると私も物を溜め込んでいるので自分の将来を見ているようで怖い!こころして片付けに精を出さねばと思った次第です。(今年の目標にしよう)

 

091霧島神宮

 

何だかんだしていると、3泊4日なんてあっという間に過ぎてしまいました。

帰りは飛行場まで妹に送ってもらったのですが、高速で見かけた熊本ナンバーの子どもの荷物を沢山詰め込んで走っている若い女性が気になりました。きっと震災で母子避難で移動中なのでしょうか?心締め付けられる思いです。多くの人が被災して避難生活を送っていると聞きます。そんな人たちにせめて食事が行き渡りますように、そして早く震災が収まりますようにと願います。

震災が起こるたびに原発は大丈夫かと思わなければならない事は異常なことです。だって大丈夫の反対もあるかもしれないって事なのですから。今回川内原発が稼動している事はとても怖いことだとつくづく思います。福島の原発からは事故後5年経ってもまだ放射能が出続けています、そして鹿児島の川内原発を「大丈夫か」と人々は恐々と見守っている。悲しい現状です。

 

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